翻訳と辞書
Words near each other
・ フリードリヒ1世 (プファルツ選帝侯)
・ フリードリヒ1世 (プファルツ=ジンメルン公)
・ フリードリヒ1世 (プロイセン王)
・ フリードリヒ1世 (マイセン辺境伯)
・ フリードリヒ1世 (ヴュルテンベルク公)
・ フリードリヒ1世 (ヴュルテンベルク王)
・ フリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)
・ フリードリヒ2世
・ フリードリヒ2世 (アンハルト公)
・ フリードリヒ2世 (オーストリア公)
フリードリヒ2世 (ザクセン選帝侯)
・ フリードリヒ2世 (ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公)
・ フリードリヒ2世 (ニュルンベルク城伯)
・ フリードリヒ2世 (バーデン大公)
・ フリードリヒ2世 (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)
・ フリードリヒ2世 (ブランデンブルク選帝侯)
・ フリードリヒ2世 (ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯)
・ フリードリヒ2世 (プファルツ選帝侯)
・ フリードリヒ2世 (プロイセン王)
・ フリードリヒ2世 (ヘッセン=カッセル方伯)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フリードリヒ2世 (ザクセン選帝侯) : ミニ英和和英辞書
フリードリヒ2世 (ザクセン選帝侯)[ふりーどりひ2せい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [せん]
 【名詞】 1. (1) selection 2. choice 3. election 4. (2) compilation 5. editing 
: [みかど]
 【名詞】 1. (1) emperor (of Japan) 2. mikado 3. (2) (the gates of an) imperial residence 
: [こう]
  1. (n,n-suf) marquis 2. lord 3. daimyo 

フリードリヒ2世 (ザクセン選帝侯) : ウィキペディア日本語版
フリードリヒ2世 (ザクセン選帝侯)[ふりーどりひ2せい]
フリードリヒ2世Friedrich II., 1412年8月22日 - 1464年9月7日)は、ザクセン選帝侯(在位:1428年 - 1464年)、テューリンゲン方伯(在位:1440年 - 1445年)。寛大公(der Sanftmütige)と呼ばれた。ザクセン選帝侯フリードリヒ1世と妃でリューネブルク侯ハインリヒ1世の娘であるカタリーナの間の長子として生まれた。テューリンゲン方伯、ルクセンブルク公ヴィルヘルム3世の兄。
1428年に父が死ぬと、3人の弟ジギスムント、ハインリヒ、ヴィルヘルム3世と共にザクセン選帝侯領を相続した。1433年ヴェッティン家はそれまで抗争を続けていたフス派との講和を結んだ。1438年、ザクセンではフリードリヒ2世の下で最初の領邦議会が開催されたと考えられている。領邦議会はこの時、財政上の問題に関する新制度の導入がなされる場合、統治者の召喚なしに集まって評決をとる権利を与えられている。
ハインリヒが1435年に夭折し、ジギスムントが1440年にヴュルツブルク司教となる際に継承権を放棄、同年に父の従弟のテューリンゲン方伯フリードリヒ4世が亡くなると、フリードリヒ2世と末弟ヴィルヘルム3世が領土を分割相続することになった。1445年のアルテンブルク分割協定により、ヴィルヘルム3世はヴェッティン家領の東部を構成するテューリンゲンフランケン地方を与えられた。家領内の鉱山は兄弟で共同管理することになった。しかし領土の分配に関する兄弟争いのため、翌1446年には両者の間でザクセン兄弟戦争が勃発した。この内戦は1451年1月27日のナウムブルク条約の締結により終結した。1459年のエーゲル条約では、フリードリヒ2世、ヴィルヘルム3世兄弟と、ボヘミアイジー・ス・ポジェブラトとの間でザクセンとボヘミアの間の国境が画定された。同条約で国境地帯と定められたエルツ山地およびエルベ川中流域は現在でもドイツとチェコの国境となっており、この国境はヨーロッパに現存する中では最も古い国境である。
フリードリヒ2世が死ぬと、2人の息子エルンストアルブレヒトが後を継いだ。ヴィルヘルム3世は男子のないまま1482年に死んだため、テューリンゲン領はフリードリヒ2世の系統に回収された。1485年にエルンスト、アルブレヒト兄弟は領土を分割、前者の系統はエルネスティン家、後者の系統はアルベルティン家に分裂していった。
== 子女 ==
1431年6月3日、内オーストリア公エルンストの娘で神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の妹であるマルガレータと結婚し、間に8人の子女をもうけた。
*アマーリア(1436年 - 1501年) - 1452年、バイエルン=ランツフート公ルートヴィヒ9世と結婚
*アンナ(1437年 - 1512年) - 1458年、ブランデンブルク選帝侯アルブレヒト・アヒレスと結婚
*フリードリヒ(1439年 - 1451年)
*エルンスト(1441年 - 1486年) - ザクセン選帝侯
*アルブレヒト(1443年 - 1500年) - ザクセン公
*マルガレーテ(1444年 - 1498年) - ゾイスリッツ女子修道院院長
*ヘートヴィヒ(1445年 - 1511年) - クエートリンブルク女子修道院院長
*アレクサンダー(1447年)




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フリードリヒ2世 (ザクセン選帝侯)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.